「あの作家が10代で読んだ1冊」部門

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福岡の書店員&あの作家が選んだ「激オシ文庫アワード」2011のエントリー作品はこちら!

*「あの作家が10代で読んだ1冊」部門

『アンデルセン童話集(1)』大畑末吉(訳) 岩波書店

胸をかきむしられるような哀しみを、私は実体験からではなく、アンデルセンの書いたものから感じていたと思います。

谷川俊太郎さん(ブックオカ2010ゲスト)

『アンネの日記』アンネ・フランク 文藝春秋

 生涯にわたり、常に手元に置いて、何度も繰り返し読むことになる本と何冊出合えるか。それは、人生の豊かさをはかる重要な指針の一つとなるだろう。
 特別たくさんである必要はないと思う。ほんの二冊か、三冊でいい。自分にとってこのうえもなく大切だと思える本がすぐそばにあって、数ページ読み返すとなぜか心が静かになる。そういう幸福を味わえる人生でありたい、といつも願っている。

 今から三十五年も昔、中学校の図書室で『アンネの日記』を初めて借りた時は、自分が生涯この一冊と付き合ってゆくことになろうとは、予測もしなかった。自分と同世代の少女が書いた日記であるにもかかわらず、正直、私には少し難しすぎたのだ。私よりアンネ・フランクの方がずっと大人だった。だからようやく彼女の声に耳を傾け、共鳴し合えるようになったのは、アンネが死んだ歳を私が一つ追い越した時だった。

 母親との対立、人間の醜さへの嫌悪、異性へのあこがれ、将来の夢、書くことの喜び……。彼女が日記に描いたのは、当時私が抱えていたものすべてだった。もやもやとして自分でもどう扱っていいのか分からない心の内を、彼女は全部言葉で書き表していた。

「うん、そうだ。そのとおりだ」」

 日記を読みながら、私は何度そうつぶやいたか知れない。誰とも共有できないはずの自分の心が、会ったこともない、言葉も通じない、既に死んでしまった少女とつながり合っている。この奇跡を、私は読書を通じて体験したのだった。

 彼女が教えてくれた一番大事なことは、書いている間、人間は自由になれる、という事実だった。言葉は人間を自由にする。すぐそばまで死の迫った隠れ家生活の中で、彼女は唯一日記を書いている間だけ、好きなところへ旅ができた。身体は閉じ込められていたが、日記帳と万年筆がある限り、精神はどんな遠い場所へも羽ばたいてゆけた。

 『アンネの日記』があったからこそ私は今、小説を書いているのだと思う。新しい小説が書き上がった時、ふと、

「もしこれをアンネが読んだらどう思うだろう」

 と考える。迷ったり、打ちひしがれたり、悲しくなったりするようなことがあると、『アンネの日記』を開き、一番の親友と会話を交わす。

小川洋子さん(ブックオカ2010ゲスト)

『ハツカネズミと人間』スタインベック 新潮社

中学生の頃に読んで、初めて「私の生きている周りのことが書いてある」と思った。私、「正直者にはきっといいことがある」っていうのが信じられなくて、だって私の周りは辛い目にあってる人ばかりだったから。ジョージ・ワシントンが小さい頃、お父さんが大事にしてた桜の木を切ったと正直に話したらほめてくれた、っていう話も、私は「そりゃ斧持って謝りに行ったら、怖くて許すわな」と思うような子供だった。この本には、小さな夢を持って何度も裏切られながら、でも一生懸命生きる人たちが描かれて、私は勇気づけられたな。

西原理恵子さん(ブックオカ2009ゲスト)

『一命』滝口康彦 講談社

士道小説の大家でいまも熱狂的なファン(かくいう僕も超の付く滝口ファン)を持つ滝口康彦先生の傑作選(ベスト盤)がこの「一命」です。今回作中の一篇「異聞浪人記」が「一命」と題して映画かされ目下話題の短編集でもあります。とにかく読み始めたら止まらない!武士の世界の厳しさ、ものがなしさ、いさぎよさを皆さん、是非味わってください。

白石一文さん(ブックオカ2007ゲスト)

『檸檬』梶井基次郎 新潮社

心情の繊細さに打たれました。また、10代の自意識過多のときだったので、この繊細さは自分にとても近いと思っていました。(太宰治も「自分のことが書かれている」と思いましたが。)そうして最後の映像的美しさにやられました。そのとき脳裏に焼き付いた光景は、未だにそっくりそのまま残っています。

角田光代さん(ブックオカ2010、2011ゲスト)

『こころ』夏目漱石 新潮社

古典はいつかは死ぬ運命にある。そんな私のペシミズムを大きく改めてくれたのが、夏目漱石の「こころ」の再読だった。高2の夏に、宿題で初めて「こころ」を読んだ私は、「先生」の内面に同化するよりも、先生に裏切られ、自殺するKのほうにひたすらシンクロしていた。それはほかでもない、私のイニシャルがKであり、私自身、当時、三角関係の妄想に苦しんでいたからである。私には、「先生」の苦しみがわからなかった。だが、それから45年後の再読で、私の「こころ」観は大きく変わった。漱石の実生活にいったい何があったのか、と思わせるほど、深く、激しい、「三角愛」のドラマが息づいていた。「こころ」の再読は、私にとってまさに一種の恩寵ともいうべき時間となった。今の若い人に、どこまで理解できるか、わからない。だが、ともかく読まないことには、再読の歓びを味わうことはできない。20代には、島田雅彦『彼岸先生』を、30代には、大江健三郎『水死』を読むことをお薦めする。

亀山郁夫さん(ブックオカ2008~2011ゲスト)

『ナイン・ストーリーズ』サリンジャー 新潮社

私が十代の頃、『ライ麦畑でつかまえて』はまさに青春文学の代名詞だったが、サリンジャーの著作の中では、『ナイン・ストーリーズ』がもっと好きだった。
作者自らが厳選した九つの短編集。テーマも味わいも、それぞれ違い、どれも強烈な印象を残す。「いつもたいてい非常に若い人たちのことを書いている」という作者の言葉どおり、七編に子どもや少女が登場する。主人公はほとんどが大人で、人間や人生の負の部分を強く提示し、彼らと子どもたちとの対比が異常に鮮やかだ。「非常に若い人たち」の感受性、その透明な光は、大人たちの救いでもあり、罪を照らすものでもある。
エキセントリックな人物が多く、主題や結末がわかりやすいとは言えない。ただ、この繊細で鋭利でリアルでリズミカルな文章の綴る世界は、理屈を越えて胸に迫る。そして、これほど会話のうまい作家は他にいない(と私は思う)。生き生きとした、皮肉とユーモアのまじる言葉のやりとりを、じっくり味わって、サリンジャーの世界を知ってほしい。

佐藤多佳子さん(ブックオカ2009ゲスト)

『ベンヤミン・アンソロジー』ヴァルター・ベンヤミン 河出書房

18歳のときに受けた最大の衝撃は、自分は何にも知らないアホでかっこ悪い男でしかないと分かったことです。友だちの会話についていけなかったし、書店の本棚には知らない思想家の本がたくさんありました。フーコー、デリダ、ウィトゲンシュタイン、といろいろあったけど、今もときどき読み返すのがヴァルター・ベンヤミン。写真が好きだったので『複製技術時代の芸術』から入りました。「アウラがさあ」などと、酔っぱらって熱弁ふるった過去が恥ずかしい。ベンヤミンの思想をちゃんと理解できているわけではないけれども、何ごとに対しても批判的精神が大事だということは、35年間、忘れないようにしてきました。ぼくが最初に読んだのは晶文社のベンヤミン著作集だけれども、河出文庫にアンソロジーが入りましたね。山口裕之さんの訳はもちろん、戸田ツトムさん(デザイン)と佐々木暁さん(フォーマット)によるカバーもとても素敵です。

永江朗さん(ブックオカ2010ゲスト)

『自分の中に毒を持て』岡本太郎 青春出版社

今年、岡本太郎の生誕100年にちなんで、とある仕事で、彼の著作20冊ほどを立て続けに読む機会があった。学生時代に何冊か読んだような記憶があったけれど、しばらく忘れていたので、短期間で行ったそれはまさに、いまにも太郎が乗り移るような体験だった。そしてその言葉の乗り移らんばかりの強度と同時に、より衝撃的だったのは、毒性だ。読んでいると、太郎のものの考え方が、どうにも自分と似ているような気がする。もちろんすぐに、それは逆だとわかる。無自覚のうちに、学生時代に読んで回った「毒」が、ぼくのものの考え方にいまなお色濃く影を落としているようなのだ。つい最近まで自分のものだと思っていた、仕事観や恋愛観、人生観。これらのいくつかが、実はまるで太郎の受け売りだったということが、読めば読むほどわかってくる。偶然にも生誕100年というタイミングで、まさか自分が太郎の劣化コピーだったという衝撃には、さすがにしばらく呆然とさせられた。10代のときに読んだ『自分の中に毒を持て』。まさにこの本が持っていた太郎の「毒」が、知らずのうちにぼくの血管を巡り、ぼく自身の「毒」となっていたというわけだ。この本を読むあなたにも、いつかぼくと同じ「毒」が回って、知らないうちに大きく道を踏み外しているかもしれない。けれどそれは、結構たのしい。

内沼晋太郎さん(ブックオカ2009ゲスト)

『ユリシーズ 1』ジェイムス・ジョイス 集英社

 自分は小説が読めるほうだ。そんな生意気なわたしの鼻っ柱をへし折ってくれたのが、ジョイスの『ユリシーズ』でした。38歳のレオポルド・ブルームとその妻モリー、文学青年のスティーヴン・ディーダラスを主人公として、1904年6月16日のダブリンの1日を描いた、元祖「24」。往時のダブリンの様子をよく伝え、アイルランドの歴史のエンサイクロペディアにもなっており、モダニズム文学を解くキーワードである写実主義の否定、神話の援用、「意識の流れ」などの技法をふんだんに使いながら、新聞記事や通俗小説といったありとあらゆる類いのテクストを取り込んだ文体見本市のような小説です。
 そろそろ挑戦してもいいだろうと思った18歳のわたしは、ほんの30分で愕然。何が書いてあるのかはわかるんですが、どこが面白いのかがまったくわからない。負けず嫌いのわたしはそれまでの快楽的な読書姿勢を改め、ユリシーズが読めるようになるための禁欲的読書に切り替えました。その甲斐あって、4年後、今度は「面白い!」と興奮しながらユリシーズを読むことができたんです。ユリシーズのおかげで、今の自分があるといっても過言ではない、恩人のような作品なのです。

豊崎由美さん(ブックオカ2008ゲスト)